「個性的な人になりたい→個性を勘違いするな!個性に意味なんてない」本当のことしか言わない心理学シリーズ第二回

もくじ

個性を身に着けたいという相談


個性そのものに価値は無い

個性を勘違いさせているもの、真の個性を身に着ける方法

個性を身に着けたいという相談

・・・ここではないどこか、某県某市某所に「本当のことしか言わない」院長と助手二人だけがいとなむ小さなカウンセリング病院があります 。今回の相談は果たしていかなるものか・・・

せんせー、お客さん来てますよう。仕事仕事!

今眠いんで引き取ってもらってくれ

お願いしますようー前回の診察料の1000万円三日で使いきっちゃったんで・・・

1000万ぽっちじゃ大して遊べないからなあ・・・もっぱら君の買い物と交通費で消えたはずだが

知床にヘリで鮭児(ケイジ)の握り100人前食べに行ったりフォーブルサントノーレに秋服買いに行ってたらあっという間でしたねー、一文無しになっちゃったのでまた稼ぎましょ

仕方ない、たまには仕事すっか

依頼人の方どおぞー

依頼人A氏

自分、個性がないと思うんです。何か目立つような個性のある人間になりたいんです、個性的な人間にどうやったらなれるのか教えてください!

個性に価値なんてねえよ、くだらない質問持ってくるんじゃねえ。帰んな

依頼人A氏

ええっ?たった一言で終了?

カウンセリング料は1分10万円、10分100万円、お得な1時間1000万円コースとございます。これ以上の相談は10分コースか1時間コースになりますが・・・

依頼人A氏

お得な1時間コースなんてあるんですね、じゃあそれでお願いします!お金は親の土地売るんでなんとかなります!

では1時間コースでお願いします先生!(カモよカモ!)

へへっ、りょーかい!

個性そのものに価値は無い

まず結論から言うが個性そのものに価値なんてない。人間それぞれ背の高さや顔つきなど外見的な特性、考え方など内面的な特性が違う。生まれた時点で唯一無二の個性がある。そんな当たり前のものに誰も価値など見出さない

依頼人A氏

自分と同じ人間がいないなんてそんなこと分かってますよ!ここで言う個性的というのは、自分だけの特徴とか独創的な考えとかそういう意味です!芸能人やスポーツ選手や社会的に成功してる人々のように目立つ人間になりたいんです!

確かに新しく会社を興して成功した人には独創的な発想の持ち主が多いし、野球選手のトッププロには個性的なバッティングフォームの持ち主も居る、ファッションや性格的にも独創的な人が多いと思う。お前さんはそういう独創的な人になりたいということかい?

依頼人A氏

そうです!自分だけの独創性を身に着けたいんです!

だとしても結論は一緒だ。独創性そのものに価値なんてねえ

依頼人A氏

ううっ・・・成功してる人が個性的って先生も認めたじゃないですか・・・

確かに有名人って個性的な人が多いように思うけど、個性に価値が無いという部分についてくわしく解説して欲しいわ

成功している人は個性があるから成功したんじゃない。むしろ個性的とは真逆のベクトルの特徴を持っているから成功してるんだ

ベクトルっていうのは方向を持つ力のことですね。個性的の逆の特徴って?

依頼人さんのいう個性や独創性というのはその人独自の価値観ということだろう?逆の特徴とは普遍的であろうとする価値観のことだ

普遍的(ふへんてき)な特徴・・・多くの人に理解されやすい、支持される特徴ということ?

そのとおり。たとえばイチゴ大福というお菓子を知ってるか?

もちろん!あんことイチゴって意外な取り合わせだけど美味しいですよねー!

イチゴと大福を組み合わせるのはとても独創的な発想だ、だがこれが美味しくなかったとしたら・・・?

依頼人A氏

ただ単に奇抜な発想の組み合わせというだけで、誰も買わないし話題にもなりませんね

わかっただろう、価値があるのはイチゴと大福を組み合わせた独創性や個性だけじゃない。その味が多くの人に支持される普遍性をもっていたから評価されたんだ。その観点で世の中で活躍している人や身近なところで目立ってる人を見てくれ

確かに人気のあるお笑い芸人さんは沢山の人に面白いと思われてるから人気があるのよね

依頼人A氏

スポーツ選手だと多くの人が納得する結果を出しているから、料理は沢山の人が美味しいとおもうから価値がある、芸術やファッションだって多くの人が心を動かされたものが評判になる・・・納得しました

数ある賞の中である意味トップに位置するノーベル賞は、人類の発展に寄与する重要かつ普遍的な法則や発見に対して与えられる賞

「個性が大事」って子供の頃から学校やテレビでさんざん言われてたから勘違いしてたわ。一番難しいのはみんなに理解される価値観をわかりやすく示すことなのね

「個性的なだけ」「独創的な人」なら誰にだってなれる。変わった服装で妙な音楽鳴らしながらその変うろついてれば。誰でも「個性的」「独創的」だよ

個性的っていうかただの変な人・・・

「個性的でなければならない」という意識が強すぎて誰にも理解されない奇抜な格好や言動をしたり、とりあえず既存の権威に反対してみたり逆を行ってみたり・・・個性を勘違いして迷走してる人間がいかに多いことか

依頼人A氏

なんか悲しいなあ、本当に個性や独創性に価値は無いんですか?これまで大事なものと思ってきた個性が否定されるのは自分の生き方が否定されたようで・・・

そんなことは無い。他人に価値を認められるのは第一に誰にも受け入れられやすい普遍的な特徴を持つことだが、そこに独創性や個性が加われば鬼に金棒だ

たとえていえば普通のビジュアルのラーメンでも美味しければそれだけでありがたいけど、そこにその店ならではのトッピングや味の個性があればうれしいわね。ただし美味しいくなければ意味が無い、ということね

まあそういうことだ。これだけ多くの人が個性について勘違いしてることについては原因がある。次の章でその原因と真の個性を身に着ける方法についてくわしく解説しよう

個性を勘違いさせているもの、真の個性を身に着ける方法

一言で言うと教育が悪い。ついでにそういう風潮を煽るマスコミ

一言すぎますよう・・・

依頼人A氏

個性を重視する風潮のことですか? 従来の詰め込み方教育には問題がありますし人権的な観点からも素晴らしいように思いますけど・・・

教育ってのは本来詰め込むもんだ

依頼人A氏

詰め込み教育には問題があります!画一的な人間しか生まないでしょ!

まあ聞け。教育の初期の段階には基本を詰め込まないといけない。それは学問であれ武や芸の道であれ変わらない。このことを日本では古来より端的に「守破離(しゅはり)」という言葉で示す

知ってる!エヴ○劇場版!

それは「序破急(じょはきゅう)」ね。おれが言ってるのは「守(しゅ)破(は)離(り)」

「守」は基本を学んでひたすら反復練習して型を身につける段階、基本を一通り身につけた上で基本の型以外の方法を模索するのが次の「破」、そして「守」「破」を経て自分に合ったよりよいオリジナルの方法を確立するのが最後の「離」だ

依頼人A氏

最後の「離」が自分の個性や独創性ということですよね、そこに至るまでは「守」「破」の段階が必要だということですか?

そうだ、今でも学校で初期の段階に文字の読み書きと九九は必ず教える。これは詰め込まないとどうしようもない

依頼人A氏

確かに九九や読み書きを知らないと何も教えられませんからね。これが「守」にあたるわけですか?

そうだ、だが現在の教育では「守」の段階で詰め込むべき基本があまりも足りない。まだ基本もできていないうちから自分の頭で考えることを子どもに強いる。結果中途半端な個性が身について大人になってしまうんだ

むかしは「守」の段階でどんなことを身につけさせたの?

四書五経(ししょごきょう)と呼ばれる中国の古典と故事成語、日本の古文、万葉から古今新古今に至る和歌だ。これを低学年時に暗記させる

依頼人A氏

ええっ?四書五経なんて大学生でも知りませんよ?百人一首ですら有名なものしか言えないし、そんな難しいことを子どもにやらせたんですか?

そうだ。これを素読(そどく)という。覚えさせると言っても師匠の先生が発音したあとに続いて同じ文言を繰り返し発音するだけだ。意味についてはこの段階では一切教えない。大事なのは質の高い文章や歌をこの時期に覚えることだ

依頼人A氏

意味も教えず覚えるだけですか?究極の詰め込み教育だなあ・・・

「読書百遍、意自ずから通ず(どくしょひゃっぺんいおのずからつうず)」と言ってな。繰り返し発音しているだけでなんとなく身につくんだよ。そして頭の柔らかいこの時期にこそ詰め込むことが大事なんだ。意味については大人になるにつれて段々自分の中で理解できるようになるし、受け入れるものは受け入れ、自分に合わないものは受け入れないこともできる(破・離)

基本の型が有るからこそ型を破ることも離れることもできる同時に多くの人から認められる普遍的な価値というのは基本の修行を通してからしか身につかない良いお手本や師匠に就くことも大事だ

「門前の小僧習わぬ経を読む(もんぜんのこぞうならわぬきょうをよむ)」ということわざもありますね。助手ちゃんよく知ってるでしょ、えらい?

「勧学院の雀は蒙求を囀る(かんがくいんのすずめはもうぎゅうをさえずる)」も同じ意味だ。勧学院というのは平安時代に貴族の子弟が通っていた学校、「蒙求」というのは中国の古典。平安の昔から寺子屋があった江戸の終わりころまで日本人はこうやって幼児期教育をしてきたんだよ

依頼人A氏

その教育の伝統が途絶えたのは・・・

やはり戦後からだろう。民主主義の世の中になり以前のものは「封建的」とひとくくりに悪いものとみなされてしまった。素読(そどく)などの教育法は「詰め込み型教育」として廃し、自分の頭で考えられる個性的な子どもを作ろうとした

その結果は?

「守」の段階で詰め込むべき教養を与えられていないから和歌の一つも詠めない、古典も知らない、故事成語どころか漢字も読めない。「守」がおろそかなまま「破」「離」の段階に進むことを求められるから、「離(個性・独創性)」を勘違いしたまま大人になってしまう

「なげけるか いかれるか はたもだせるか きけ はてしなきわだつみのこえ」という短歌ではじまる「きけわだつみのこえ」という学徒出陣兵の詩や遺書が収められた本がある。ここに載っているレベルの文章を現代の同じ大学生が書けるか?まず無理だろう

靖国神社の遊就館には戦場から家族宛に送られた無名戦士の手紙が数多く展示されている、ほとんどの手紙の最後には短歌が添えられている。平安や江戸の昔といわず75年前までは一兵卒にもそれだけの教養が合った証拠だ。興味があったら見に行ってみるといい

日本人が拠って立つところの教養がどんどん失われているのね・・・自分で和歌を詠めたらどんなに素敵かしら

依頼人A氏

詰め込み教育が個性を伸ばすことの妨げになると思ってたけど、昔の日本人はむしろ今より個性的な人が多かった気がしますね

歌舞伎の役者さんは今でも子供の頃から徹底的に基本の動きを詰め込むように教えてるのをテレビで見たことあるけれど、それで大人になった役者さんは無個性どころかとても個性的な方が多いわね

別に昔の人が特別頭が良かったわけでも、今の日本人がバカになったわけでもどちらでもない。基本の「守」を大事にすれば今からでも取り戻すことはできる。それと学校が変わらないなら自分が変わればいい。自分の子どもに教養と個性を身につけさせたかったら家庭で一緒に質の高い文章や歌の音読でもすればいい。「守」を大事にすれば自然と個性は身につく、これが今回の結論だ

今回の本当のことしか言わない心理学講座はここまで、みなさん次回の講座でまたお会いしましょう~

小金入ったしパーっといくか、パーっと

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